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C`est bon la vie

楽しみを見つけるヒントとか

謝るということ~謝罪会見の文化~

小言

日本では、不祥事を起こすと謝罪会見が行われるのは一般的な光景。

謝罪会見を見てもこれといって疑問は浮かんでこない人も多いことだろう。

しかし、よく考えると一体誰に誰に謝っているのかと疑問に思うことも…

今回は「謝罪会見」について考えてみる。

 

謝罪会見の無意味さ

結論からいうと、謝罪会見には謝罪としての効果は期待できない。

怒っている人が質問するわけでもなければ、

怒っている人に向けて直接謝罪するわけでもない。

したがって、本来の意味での謝罪の効果はかなり薄いと言わざるを得ない。

だから問題の根本的な解決にはならない。

もはや世間からの風当たりがマシになることだけが

謝罪の意味として重要だと思えてきた。

 

誰に謝るの?

近頃ロックバンドのボーカリストである川谷絵音さんが袋叩きにあっているけど、

彼が言い放った「誰に謝るの?」という言葉。

なんて不謹慎な奴だ!と感じる人は多かったのでは。

でも、不倫をした芸能人が「すみませんでした!」って謝るべき相手って誰だろう?

まずは関係者に謝罪するだろうし、不倫相手や奥さんにも謝るだろう。

ファンとしてこれからも応援してくれる人々に対しても、

自分の気持ちを伝える場面があっていいと思う。

しかし、それらを済ませた後は一体誰に謝るのかと。

まさか興味で集まっているマスコミに対して?

お茶の間でおせんべいを食べながらワイドショーを見ている人に対して?

ひとつ前の見出しで書いたけど、謝罪したところで許してくれる人ばかりではない。

それでは誰に対して謝るのか…

 

謝る相手はいない

謝る相手はいない!!

結局のところ、謝罪の意味は

今後活動していくための「つじつま合わせ」というのが僕の結論。

日本では謝罪は道徳的に良いものとして捉えられるということもあって

まずは謝罪することが日本においては重要なのかもしれない。

www.asagei.com

 

 

ベッキーを休業に追い込んだ」なんて書いてある部分について

いい歳した大人が相手を既婚者と知って近づいていたのだから

なにも川谷さんが追い込んだわけではないでしょう。

ここから分かることは、結局ライターの気分の問題なのだ(鼻くそをほじりながら)

ライターだって気分が悪ければそういう記事を書く。

悪く書かれたくなかったら嫌われないような謝罪をしなければならないらしい。

 

謝罪の意味の一つとして、業界人・一般市民に謝意を見せることで納得してもらう

というのがあるだろう。

また、「川谷は自分の立場をまったくわかっていませんね」というところからも

自分の立場を守るために芸能人には謝罪が求められるようだ。

 

まとめ

日本では謝罪することに意味があるというまとめ方ができる。

視点を変えて考えると、謝罪してしまえば形式上責任を果たしたことにもなる。

謝る気はないけど、その場しのぎで謝罪しようぜ!

と思う人は結構いるだろう。僕はそんなこと思ってないよ。

感情論ではなく戦略的に考えると、真摯に謝罪するのが賢明かと。

 

最後に、浮気して未成年と酒を飲むなんてロックバンドのボーカリスト

としては才能があるじゃないかと思う(笑)

ロックって道徳とか宗教観とか社会通念上のルールに対して

「俺はそんなにお行儀よくできないんだ!こんな考え方があっても良いじゃないか!」

と反骨精神むき出しで突っ込んでいくものじゃないのかなんて思うのです。